こうあるべき、これが正義だ、、、重ねれば重ねるほどに元気がなくなる
「YESMAN」という映画を観たことがある人はいるでしょうか、この映画実は大変スピリチュアルで面白い映画です。何でもかんでもNOを言い続けてきた主人公が人生はツマラナイと嘆いていたのですが、、、あるセミナーで全ての誘いにYESと胃って全て参加するようになった途端に人生が急変して面白くなった。。思考でNOと答え続けてきた人間が全て思考の声を遮ってYESといい続けて参加したところ人生は最高に面白いことに気付く映画です。これは実は鬱病と深い関係があります。人間は思考に服従し、思考の命令に従順になればなるほど元気が無くなる、、こうあるべき、これが正義、こうじゃないと駄目人間と思われる、、、これら思考の声に委ねると、、、心が全て蚊帳の外に追いやられやがて力を無くします。これが鬱の初期状態です。
魂の道具である思考が主導権を握り、やりたい放題することで魂(生命力)が絶たれる
魂はこれをやりたい、あれをやりたいと感じているのに、思考はこうあるべき、あああるべきと行動にストップをかけます。これは思考にコントロールされている状態です。魂は色々な体験を積みたい、、ところが思考は利益や損得で物事を考えありのままの行動にストップをかけます。これで魂(生命力)は力を失いやがて鬱に向かいます。思考はパワーを得る方法を知りません。思考の邪魔さえなければ人間は元気です。思考の柵さえ打破すれば人間はいつでも元気なのです。これが本当の健康法です。
鬱病を克服するためには先ずは思考の言うことを疑ってみる、お前の言う通りにしたから病気になったと
会社に迷惑をかけてはいけない、、サービス残業ぐらい当たり前だ、、、転職を繰り返すと評価が下がる、、、これら思考の声に雁字搦めになりますとやがて魂は動きを制限され生命力が枯渇します。魂の露出量が生命力量であり露出量が減りますと生命力が減ります。思考である「こうあるべき」が多く積み重なることで魂は出る居場所が無くなりひっそりと陰を潜めます。この状態が鬱です。鬱々とするとき実は思考がフル回転です。元気なときは元気(魂)が主導権を握り思考を道具として使います。思考がのさばり「こうあるべき」によって思考をフル回転することで魂からの生命力である元気を抑え込みます。
算命学ではのさばっていた思考をふっとばし再び魂に主導権を握らせる
算命学がやることは今までのさばってきた思考にストップをかけます。思考がどんなに「こうあるべき」と自分を羽交い絞めしていたところをそれも一つの考えだが「あなたには当てはまらない」と宿命で諭します。思考がどんなに自己主張をしようとあなたの宿命には当てはまらないとその思考を払いのけます。これが算命学の役割です。今までに身に付けたあらゆる常識、ビジネスルール、尺度を捨てさせます。誰に捨てさせるのか?魂に捨てさせるのです。意識に捨てさせるのです。ワンネスに捨て去らせるのです。算命学は思考との対峙ではなく思考の奥底にある魂に直接訴えかけ重い思考を捨てさせます。