人生最大のピンチとは人生最大のチャンスであることは真実
人生最大のピンチ、八方塞がりの時期は自我はフル回転、思考フル回転、自我は自我でいることが出来ます。ですがそれを支える体力すらも奪われる、自我、思考を支える体力が全くなくなってしまった時、自我は動きを止めます。思考は回転を止めます。そして思考が無くなった状態で人は意識体、空、ワンネスに一時的に戻り今までとは全く異なった解決方法を見つけるのです。それは自我ベースの発想ではない、空、ワンネスベースの発想ゆえに次元の違う解決法です。外的要因をどうこうするのではなく内的要因、自身のあり方、空の存在、立ち位置を切り替えることで人は目の前の問題を解決します。人間という存在では解決できなくなった時に始めて人は神ベース、空ベースで目の前の問題を解決します。問題が実は問題でなかったことを知るのです。
人生に限界が来る本当の理由は空、ワンネス、意識が次元を変えた体験を積みたくなったから
自我ベースでの行動がいつか限界を迎えるのは、本来の存在である空、ワンネス、大いなる一つが自我ベースのストーリー、ゲームにいい加減飽きたからです。自我ベース、宇宙と完全分離した人間としての生き方に空、ワンネス、大いなる一つは飽きます。いつまで経っても幸福になれない人間ゲームにほとほと飽きた空は、自我ベースを壊す、思考が自分だという考え方に限界を起こさせます。八方塞がりという状態です。自我ベースの本人にとっては大変な状況ですが実はこの状況は自我を壊すには最高の状況です。自我を支えるエネルギーさえ無くなった身体は自我を維持できず自我は崩壊します。そしてその時ワンネスが再び主導権を握るのです。火事場の糞力が出るわけです。ここまでくると空、ワンネス、大いなる一つは自我体験を終わらせます。自我という幻想ストーリーが終わりを迎えます。空、ワンネス、大いなる一つを土台にした体験を積むのです。体験の次元が変わります。
自我ベースの生き方を味わい尽くすことは全く悪いことではない
思考こそ自分である、この身体こそ自分であるという自我目線の人生は日々苦労が伴いますがこの経験はこの自我目線ゲームを作り出したワンネスにとっては貴重な体験、価値のある体験です。飢餓、不足感、欠乏感が支えるこのゲームはある意味大変エキサイティングであり人はこのゲームの終わりを夢見ます。ゲームの終わりは金持ちになること、有名になること、地位や名誉を得ること、、、この世の一般常識で言う幸福を達成することです。そしてこの幸福を達成する過程で全く幸福にならない自分(自我)に気付きます。これが絶望です。降伏です。サレンダーです。
自我ベースの生き方を味わいつくした人間から自我の解放が訪れる
自我ベースの人生を諦めるには自我が設定した目標をある程度達成しなくてはなりません。目標を達成さえすれば幸福になれるという仮の理論を元に自我ベースの人生は進みますから全く何もクリアー、達成しなくてはこの嘘に気付けないのです。自我ベースの人生の醍醐味は達成しても達成しても幸福になれないということに気付くとこまでのプロセスです。達成すればするほど欲が昇華されていきます。生理的欲求から安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求へと欲が昇華されます。そしてここがポイントですがこのプロセスの過程は幸福度が上がりません。常に飢えた状態、飢餓状態、欠乏感に襲われ続けながら欲を達成していくのです。覚醒する、悟る以外にこの世では幸福がないことに気付くことで意識、空、ワンネス、大いなる一つは自我を解放していきます。