過去と未来に直接行くことは出来ない、、、つまり過去と未来は頭の中の想像空間
過去に直接行ったことがある人はいませんし、未来に直接行ったことがある人もいません。過去も未来も思い出したり想像したりとどれも空想の世界です。私達が実感として体感できるのは今だけです。ですから時間を感じたことがある人はこの世には一人もいません。物が動くことを、風が動くことを今ここで体感はできますが時間を感じたことがある人は誰もいないはずです。時計の針が動く姿をみることはあってもそれは時間そのものではありません。私達人間は今を感じること意外は全て幻想です。今物が動くことを見るという体験は積めますが、時間を感じることは出来ません。だとすると時間が過ぎるという錯覚を感じ続けてきただけという理論を否定できないことになります。
今移り行く世界を観察する、体験すること以外は全て幻想
私達は今体験している状況を頭の中で繋ぎ合わせそれをストーリーとしてまるで時間が存在しているかのように仕立て上げます。ブツ切りの瞬間体験を頭で繋いでそれを人生と捉えます。本当は今この瞬間しか体験したことはなく時間を直接体験したことはないのですが物も自分も動くから時間があると捉えストーリーとして頭の中で捉えるのです。本当はこの瞬間瞬間に画像が変化しているだけです。今この瞬間に今見える世界が変化しているだけです。YOUTUBE動画と同じで頭の中で流して観るから時間があるように感じるのです。本当は瞬間瞬間の感覚しかありません。瞬間瞬間に変化変容しているだけです。これがこの世のカラクリです。
生まれてきた時から実は時間が無かったというと一体全体我々は何をしているのか
時間は頭の中の幻想だとしてでは一体全体我々は何をしているのでしょうか。youtubeという動画サイトには恐らく何億という動画がそこには存在し私達はその一つを自由にどのタイミングでも観ることが出来ます。動画ですから再生すればそこには時間が存在しますがこれも幻想、ただ並べて流しているだけです。このように実はこの宇宙はあらゆる魂がさも何かを時間の流れの中で同時並行で体験しているようになっている巨大な動画サイトのようなものなのです。youtubeにはデータがあるのみ。空は宇宙というこの巨大なゲームを用意して各脳を通じて体験ツアーを行っています。それぞれが鏡となって空がワンネスが自らを体験しているのです。
では私達はそれが分かったところで一体何をすればいいのか?
この構造が分かってきますとどうやら親の教えや学校の教え、正義感も、道徳もどれも全く意味がないことが分かってきます。この宇宙がどのようなメカニズムで運営されているか以外は正義も悪も後付け、何か絶対的に正しいとされる倫理観も価値観も全て後付けです。キリストが釈迦が、老子が、荘子がもしもこの宇宙の原理に気付いていたならば何か偉そうな正義を振りかざしていなかったことは明白です。こうしなくてはならない、こういう生き方でなければならない、無数のべき論は実は時の権力者が作った国を権力を守るための後付け理論です。宇宙のメカニズムに気付いたらもう一度自分自身が自分を縛っている正義を疑ってみることです。私達はあまりに多くのルールを絶対視して息苦しくなってしまっています。