シュナイターの言葉「運命は出会いまで」
この言葉も深い言葉です。運命は出会いまでという言葉はこの世、あの世、空、非二元の世界を絶妙なバランスで表現しています。出会いを用意してくれるまでは空であり、その出会いに対しどうアクションするかは我々の自我の責任ということです。出会いも宿命、出会ったあとも宿命ではそこには自由意志は働きませんがこの世はしっかりと自由意志の範囲が含まれています。これがこの世、あの世、空、非二元を表現する上で大変参考になる言葉です。覚醒体験をしたえみさんがこのことを言っていますがまさにその通りだと思います。
二元から非二元、非二元から一元の世界へ
陰陽のマークを多くの方は観たことがあると思いますが二色の色が混ざり合い円を描くあのマークですがあれはこの世が二元、陰陽の世界であることを表しています。そしてそれを俯瞰してみると一つの円になることからも二元に分かれつつもそれで一体であることを(非二元)を表します。この二元の世界は空、ワンネスから生命現象として現れた世界です。脳がイリュージョンとして空から作り出したワンネスの遊び場です。エネルギーの上下があり、身体の大きさの大小があり、熱い寒いの寒暖があり、、、と全ての現象には二元が含まれます。ですから人間はこの世は一元には見えません。空間が広がり時間が存在するこの世は一元ではないのです。一元から生まれた二元の世界です。もっと言えば二元に見える、見せられている世界を人は生きています。無が有を作り出し有を無が有を堪能する世界です。
生を堪能するためにくだらない価値観、思考回路をアンインストールしこの世を遊び場に戻す
恐らくワンネスは生まれて来た人間を一端は分離の価値観で洗脳させ苦しみを味わいつくしそこから這い上がるストーリーを堪能しようとします。病老生死あらゆる苦難を人間を通じて体験し無力感、不足感、欠乏感から来る苦しみを味わい尽くそうとしています。そしてそこから真理に目覚め再び自分が実は完璧な存在の乗り物であることを思い出すという壮大なストーリーを初期設定しているのです。勿論楽な人生を初期設定している人間もいるでしょうがそうではない無力から強力、完璧を思い出すプロセスを歩む人間も設定しています。振れ幅が大きければ大きいほどに完璧な存在であったことを思い出す感覚は感動的、衝撃的、ドラマチックです。
湧き上がる生命現象の一つ一つに感動できる境地を目指して
生まれてきてあらゆる価値観の洗脳、インストールを受けた人間は一旦はその無力感、一人では何も出来ないという無価値観の底まで叩き起こされるわけですがそこから徐々に自分で情報を集め、真実に触れ、再び自信を取り戻していきます。宿命に触れ、実は自分がワンネスのアート、表現、芸術であったことを徐々に思い出していきます。これ以上の感動はありません。そしてその時に今までの苦難の全てがそれを思い出すための完璧な仕掛けであったことにも気付きます。ワンネスが作り出した壮大なドラマに一切の無駄が無かったことに気付くわけです。