自我、エゴは維持するには体力が必要、体力が落ちたときは実は目覚めのチャンス
自我、エゴは維持するには体力が必要です。パワーがないと自我、エゴは維持できません。そのため元気な時期、上手くいっている時期は実はエゴ、自我はフル回転、その分不足感や、欠乏感も強くなり飢餓状態に陥ります。飢餓状態ですから常に焦燥感に駆られます。ところが様々な困難に打ちのめされ体力ががた落ちの時はエゴ、自我は勢いを落とします。この時は実は目覚めのチャンス、真我に目覚めるチャンスでもあります。
人生最大のピンチは最大のチャンス、気付きの最大のチャンス
人生が楽しくてしょうがない時は自我が次から次へと課題を与えそれをクリアできている状態、自我、思考との同一化が上手く機能している状態、空、ワンネス、大いなる一つが自我体験をスムーズに行っている状態です。ですがある程度この自我体験を遂行していきますと、、、ひたすら幸福度が何も変わらない、、どこかで飽きてきます。そして飽きてくることで自我の我欲に素直に従うことが困難になってきます。やる気がそぎ落ち物事が上手くいかなくなっていきます。八方塞へ突入していきます。空がワンネスが、大いなる一つが自我体験に徐々に飽き次の次元の体験へとシフトを図っているのです。スピリチュアル、悟りなどに興味が徐々にでてきます。物事は八方塞ですが精神は開化へと向かっていくのです。
自我目線ゲームは体験し尽くさなければ次の体験にシフトできない
本質は自我目線ゲームを堪能したいと思っていますから、簡単に自我を手放すことなどしません。マリオゲームを始めたばかりにマリオのやる気を削ぐことなど絶対にしません。マリオには夢中になってこのゲームをクリアさせる体験を積ませたいのです。我々マリオはマリオを味わい尽くすことこそが重要であって簡単なクリアが目的ではないのです。マリオを味わい尽くすとはマリオとしてこの地球ゲームの試行錯誤を味わいつくしてもらいたいのです。
自我体験ゲームは自我の欲求に素直に従い奔走する、ほとほと疲れ果てたら自我を手放す
スピリチュアル、悟りに全く興味が持てない時期は自我目線ゲームに奔走したい時期です。自我目線ゲームにどっぷり浸かって欲を達成していきます。しっかりと苦悩を味わい、喜怒哀楽を味わいつくします。これが自我目線ゲームの醍醐味です。高校野球球児のように泥を飲みながらも一時の勝利の味を楽しみます。ほとんどの時間は苦痛であり、地獄かもしれません。それでもそれは構わないのです。それこそをワンネス、空、魂は望んでいるのですから。ですがそのような生活に疲れ果てたら自我を手放してもいいのです。手放すそれも自由、手放さないのも自由です。