覚醒=幸せではない
覚醒すると、悟ると、ワンネスとの合一を達成すると人は幸せになるのでしょうか?答えはなりません。覚醒すると人はそもそも自身が幸せであったことを知ります。覚醒するから幸せになるのではなく、覚醒することで自身が元々幸せであったと気付くわけです。宇宙は完璧なバランスで構成されており自分自身はその要素の一つであるわけですからありのままで完璧であることに気付くわけです。完璧な宇宙の完璧なパーツであると。ただし宇宙はそもそも自身が完璧ゆえに完璧を味わうためにあえて不完全なこの世を作りましたから我々は不完全を味わうことで完璧の偉大さを体感することになります。それゆえ覚醒とは完璧、幸福を思い出すことにあります。
何かを得るから完璧、幸福になるのではなくそもそもが幸福であったと思い出すためにこの世はある
神との対話にも何度もでる説明ですがこの世は自身がワンネスであることを思い出すための場所です。個人として分離を味わい尽くし分離のマスターになり、分離に飽きて、統合をし再び神、ワンネス、大いなる一つの偉大さを思い出すためにこの世はあります。ですからこの世で味わう不幸や孤独感、無気力、焦燥感といったネガティブな感情は素晴らしい感覚でこれを味わうことで再びワンネスを思い出した時にその満ちた状態に感動することが出来るのです。この世のゲームは全てそこに繋がります。
ドラゴンクエストでは最初主人公に力がないのは力を付けた時の偉大さを味わうためにある
ドラゴンクエストでは最初登場人物である主人公は全く力がない状態からスタートします。もしも最初から主人公に力がマックスであればドラゴンクエストは全く面白くない白けたゲームになってしまいます。この世も同じでそもそも子供は全く力がない状態からスタートするわけですがこれこそ力を付けた時の感動を味わうためにあるのです。最終的には自分が実は創造主であったことを思い出すわけですがその過程で無力な自分を味わうことこそがこのゲームの醍醐味になります。
算命学は主人公がどのような能力、技術、エネルギーを持って生まれてきたかをゲームの途中で知らせるアイテム
ではそのゲームの中で算命学はどのような役割を担うのでしょうか?主人公が生まれこの世のゲームを味わっていく中で自分にはどのような能力があり、技術があり、パワーがあり、特徴があるのかを確認するために算命学は存在します。ゲームの中盤、クリアするための指針を失い、自分は何が得意で何が苦手なのか途方にくれたときにそのヒントを教えてくれるのが算命学です。