自我ベースでいたら疲れる
自我ベースで生きることは疲れます。自我は分離意識、幻想、嘘、偽り、実態とは全く異なりますから自我が強くなればなるほど嘘を塗り固めた状態。大変疲れるのです。実態が嘘ですから嘘は大きくなればなるほど崩れやすく壊れやすい。ゆえに自我ベースの成功者はいつこの嘘がバレるのかとビクビクしているのです。誰かにいつかバラされるのではないか。そう意識、空、ワンネスにこの嘘がバレることを恐れながら生きています。スパイみたいなものです。
自我ベースの成功者は自我が崩壊すると救われる
自我ベースの成功者は、、この嘘の生活がいつまで続くのかと日々怯えています。そのため周囲から否定されるのを極端に恐れます。否定されて空、意識から自我(嘘)を疑われることを恐れているのです。そのため周囲を過度に警戒し一歩も近づけません。込み入った話、本音の話になることを恐れるのです。恐怖政治のように周囲を従順な奴隷にすることで自我(嘘)がバレることを恐れているのです。周囲にバレることではなく自身(本質、空、ワンネス、神我)にバレることを恐れているのです。そしていつか必ず意識、本質に自我が幻想であることは発覚するわけですがこの日は自身(意識、本質、空、神我)にとって最良の日なのです。また自我にとっては最悪の日です。
自我が崩壊してしまえば再び自我ベースに戻ることはない
自我が崩壊してしまえば基本的には再び自我ベースに戻ることはありません。なぜならば一旦嘘が嘘とバレてその嘘に再びひっかかるバカは滅多にいないのです。何十年、何百年と騙され続けてきたわけですから一旦気付けば安々とは騙されません。意識、本質、神我は何百年も自我によって主人公を奪われてきたわけですから一旦気付けばまた自我に主人公を譲ることはないのです。
神我として自我(思考)を使いこなす、優秀な道具として
神意識で生きることを神我と言いますが、神我で生きるとあらゆる願いが叶いやすくなります。当たり前のことですがこの世は神の創造物であり目に見える全ては神そのものですからその神の意識で生きれば矛盾が無いのです。自らが自らの形状を変化させるのみなのです。自我はただの思考に戻り、神我の道具として働くことになります。決断だけを行うこの世の指揮官のような立場になります。