自我は自我であり続けるために次々と課題を用意する
自我は自我であり続けるために様々な課題を自分自身に用意します。自我は課題、目標、執着が無ければお払い箱になってしまいます。自我は自分自身が実は偽りの存在、幻想であることを知っていますから意識、ワンネス、空に見つけられるのが怖いのです。ですから自我は静寂を嫌います、静寂時に自我、思考は存在が無くなります。自我は瞑想が嫌いなのは自我であり続けることが出来なくなるからです。意識、ワンネスが再び主導権を握ることに怯えているからです。そのため自我は自分自身に対し次々と課題や欲求を用意することで自我であり続けるわけです。
自我が肥大化し次第に疲れ果て、やがて精神世界をさ迷うようになる
自我は放っておけば肥大化します。なぜならば自我はフル回転で動き続けることでしか存続できませんから常に次々と次の課題、獲物、目標を用意するわけです。こうして自我は肥大化しながらも次第に疲れていきます。途方もない目標達成レースに次第に意識、ワンネス、魂も飽きてくるわけです。これが自我の終焉と呼ばれる現象の初期段階です。
放置された自我、思考を解決するためにはただ静かに思考を観察するだけ
先ずは自我の正体を知る、自我の行動パターンを知る、思考が思考であり続けるテクニックを知ることで意識は思考を冷静に見定めるようになります。意識、ワンネスはただ静かに思考を見つめるだけで思考は動きを止めます。自分だと思っていた自分は実は偽者の思考で本当はこの思考を見つめ観察する意識こそが本当の自分です。
本当の自分(意識、ワンネス、空)に目覚めたら、思考をただじっと観察し、思考を再び従順な部下にする
自我、思考は意識の前では実は力がありません。力が無いからこそ必死に次々と課題を見つけてきて自身の存在意義をアピールします。例え精神世界に没入しても今度は精神世界上で目標を設定し自我、思考の存在意義を唱えます。人参をぶら下げ続ける限り思考はその人参を捕まえるという仕事が与えられますから思考にとっては有難いわけです。こうして自我はどのような状況に陥っても自我の存続を叶えていくわけです。ただ冷静に思考を見つめることで思考は動きを止めます。意識の従順な部下に代わります。
算命学鑑定では宿命をズバッと言い当てることで思考(自我)の出る幕を無くす
何のために生まれてきたか全く分からない状態は実は自我(思考)にとって大変有難い状況です。考えるという仕事にありつけるわけです。思考をフル回転で回せるわけですからこの状況は自我にとっては有難い、存在を維持できます。悩んでいる状態は自我、思考にとって大変都合の良い状況なわけです。算命学鑑定ではその方の生きてきた目的をズバッと説明します。自我、思考の出る幕を遮断します。こうして人は思考でなく叡智に触れることで解決できることを知り、思考の役目を減らすことを学んでいくのです。思考に主導権を握らせない、ワンネスに主導権を再び握らせるために算命学はあります。