自我(思考)が主役と錯覚し続ける以上は幸福は訪れない
なぜいつまで経っても人間は幸福に至れないのか?なぜ人間は苦しみ続けるのか?それは自我(思考)が自我こそがこの世の主役、自分自身と勘違いしているからです。自我は脳が作り出した思考、錯覚だけでしかなくこれは幻想です。人間の成長途上で自我が確立し、自分こそが自分自身と勘違いがスタートします。これがこの世の不幸、茨の道の始まりなのです。なぜか?それは自我はあくまで後付けで発生した思考のパターンでしかなく自我が確立する前も意識がしっかりとありました。意識が先で思考(自我)が後にも関わらず後に形成された自我(思考)が主役と勘違いしているのが現状です。ゆえにこの勘違いの延長線上には幸福はないのです。
自我の勘違い、自我の過大評価から人生は苦痛がスタートする
生まれた直後は自我が形成されていませんから幸福の極地に至っています。ところが3歳4歳あたりからこの身体こそ自分自身であるという洗脳を受け勘違いの人生がスタートします。この勘違いこそが不幸の始まり、苦労の始まりです。ただこの苦労、不幸は勿論魂は納得済みです、分かった上で生まれてきているのです。ですから人生の前半は誰でも苦しい、自我が拡大すればするほど嘘を嘘で塗り固めていますから不安で不安で仕方がないのです。これが人生です。
幸福には絶対になれないからこそ自我は幸福を求めあらゆる体験をする
自我(思考)が自分自身と勘違いしている以上は幸福には絶対になれません。なぜならば実態と異なるからです。だからこそ自我はあらゆる体験、行動を貪ります。幸福を求めて自我は貪るわけです。この行動は魂、ワンネスにとっては貴重な体験になるのです。幸福を求めて貪る行動があらゆる体験を魂、ワンネスは味わうことが出来るのです。ですが自我が自分自身と勘違いしている以上は絶対に幸福にはなれません、なぜならば幸福は自身が嘘(幻想)であり本当は自分は自分ではなくワンネスの道具であることを思い出すこと以外にないからです。幸福(ワンネス)に戻る以外に幸福は無いのです。
自我が自我を嘘と見破り、再びワンネスに戻る時期こそ至高の幸福になる
どうしたら幸福に至れるのか?それは自我が実は脳の錯覚、自我は思考が生み出した幻想であることを再び思い出し自我を冷静に扱うことしかありません。自我が自我こそ主役と勘違いしている以上は絶対に幸福にはなれません。なぜならばそれは嘘だからです。真実ではないからです。自我が自我を疑い始めた時が幸福が再び出現し始めるチャンスです。脳の錯覚である自我は実態がありません。自我(妄想)が幸福を目指しても幸福(空、ワンネス)には絶対になれないのは当たり前なのです。幸福は幻想の次元にはなく今ここにしかないからです。