多くの映画やドラマでは主人公は最初、力がない
多くの映画、ドラマ、小説においてよくある筋書き、主人公に全く力がなく、何も出来ず、自信もなく、評価も低く、自己卑下である。このような主人公が出会いを通じて、師を通じて徐々に力をつけていくストーリーはよくある流れですがこれはこの実社会でも同じです。少し違うことは生まれてきた当初は完璧であることを知っている子供は親の刷り込み、洗脳、学校での教育を通じて力を奪われるという点です。この初期設定だけがドラマや映画と異なることです。
映画やドラマ、小説と異なるもう一つの筋書きは今世で全てを手に入れるわけでもないということ
映画やドラマ、小説は主人公のサクセスストーリーを描くために最終的に、終盤に向かって全てを手に入れるストーリーが多くありますが実際のこの世では輪廻転生で何度も生まれてこれるため全てを手にすることもありません。初期設定で何を体験するかを設定しているためそこが達成できればワンネス(魂)は満足します。ワンネスが初期設定した体験を積めることが成功であり、世間が思う成功がワンネス(魂)の成功でないことも重要なところです。
初期設定をしたワンネス(魂)と自由意志で切り開く私(自我)の共同作業でこの世は成り立つ
人生の初期設定をするのはワンネス、魂です。そして現れる生命現象の中で必死に生きるのは私(自我)です。ワンネスであることを忘れた私(自我)は必死にこの世を生きていきます。出会い(出現する)、出来事(出現する)と対峙した私(自我)は出会い、出来事に時に悩み時に苦しみ、時に楽しみ、時に喜ぶわけですがこの体験こそワンネス(空)がワンネス(空)では味わえない最大の喜びなのです。自我が自我ゆえにワンネスらしくない感情を味わってくれるからこそワンネスは大満足するのです。これは人間が映画を見て非日常を楽しむことと同じです。ワンネスは日常味わうことが出来ないこの体験を無邪気に喜びます。
人間が死の淵をさまように苦しんでいる時、ワンネスは嬉々としてこの体験を喜んでいる
頭では楽な方法を知っているのに、なぜか苦しい道を選んでしまう、、、この人と結婚したら苦労することは分かっているのになぜか魅かれてしまう、、、自我は心底嫌がっているのになぜかそこに導かれる、、、これはもしかしたらワンネス(魂)の選択かもしれません。人間の自由意志が働かない行動を自分がとっていたらそれは魂が初期設定(ブループリント)に忠実に沿った生き方に導いている可能性があります。ワンネスと自我の共同作業はこのように行われます。