この世に生きているいじょう苦しみが皆無になることはない
この世に生を受けたいじょう苦しみが全くなくなってしまうということはありません。苦しみは生きている限り永遠に続きます。ですが気付きを得たあとは苦しみが減少することは間違いありません。苦しみはよりその方を行き易くするための道具、ツール、キッカケですから気付きの深さ=苦しみの減少なのです。ただ苦しみが全くなくなるというようなユートピアはこの世には存在しないのです。
気付けば気付くほどに苦しみを俯瞰し苦しみに没頭しなくなる
幼い子供がおもちゃが壊れることで泣き崩れることがありますが大人がそうならないのはおもちゃは買い換えればそれで済むことを大人は知っているからです。ただそれだけです。同じように人生の覚者はこの世は全て幻想であることを知っていますから幻想を失う悲しさ、苦しさ、辛さはそれを知らない者よりも軽くなります。この世は魂を磨く場所ですからそれ以外は全て幻想です。幻想に囚われて生き辛くなるほど滑稽なことはないのです。
算命学はこの世は幻想であることを認めつつ完全燃焼を目指す
算命学はこの世は幻想であることを認めつつこの世に生まれた魂がなぜこの世に生まれてきたのか、この世でどのような課題を解決しにきたのかを検証します。幻想ですから所詮は遊行です。ですがこの世が幻想であることを知らない人にとってこの世は残酷でかつドライ、かつ深刻です。ところがこの世が幻想でかつ生を完全燃焼するためのステージであると理解した覚者にとってこの世はチャレンジの場所、思い切り生き抜くだけの場所になります。