自我目線で生き続けても限界にぶち当たる
自我目線で生き続けても必ず壁にぶち当たります。自我はこの身体こそ自分だと考えていますが実際には違うのでどうしても生きていくのがだんだん辛くなっていくのです。自我目線では何が辛くなるのか?!一番は何といっても自我が求めるのは「刺激」ですからこの「刺激」は手に入れた途端に無くなってしまいます。獲物を捕まえることと同じで捕まえるまでは夢中になれますが捕まえた途端に夢中ではなくなり興奮状態は終わります。そしてまた次の獲物が必要になるのです。刺激刺激を求め続けるのが自我です。これはある時むなしくなります。一体自分はいつまでこの刺激ゲームをやり続けるのかと。一向にお腹一杯にならず常にハングリーな状態に飽きる、退屈になるのです。そうなりますとこの世を創造した空、ワンネスは「退屈」になりこの世のゲーム、自我目線ゲームに飽きるのです。
自我目線に飽きたら空目線に切り替える
自我目線の自我ゲームに徹底的に飽きましたら次は空目線でのゲームに切り替える必要があります。空目線の空ゲームとは空こそがこのゲームを堪能する側であり、自我はあくまで空の道具であることを思い出しながらやるゲームです。自我的にはこうだが空的にはどうだろうと、、、自我と空で相談しながら進めるゲームです。これが空目線のゲームです。完全なる空目線はこの世では実際難しいのですが(悟らないと難しい)空と自我のダブルワーク、二人三脚は気付きが起これば、自我目線ゲームに飽き飽きしたら誰でもシフトチェンジできます。ポイントは自我目線ゲームの「飽き」です。
空目線ゲームは新鮮で楽しい!
自我目線ゲームではお腹一杯には絶対になりません。なぜならば刺激こそ快感、楽しい、喜びですから、、、同じ状況は飽きるのです。次から次へと興味は移っていきます。そしてこれが自我目線ゲームでの正しい姿です。ですがこの自我目線ゲームに飽きたならば次はお腹を満たすゲーム、空目線ゲームに移ります。このゲームはあるがままでいかにお腹いっぱいになるか、空(最高のお腹いっぱい状態)を目指すゲームです。空は最高にお腹いっぱい完璧な幸福状態ですからそこを目指すのです。いかに完全たる空に近づくかのゲームです。空に近づくゲームです。何も手に入れなくてもそのままで幸福に(空状態に)いかになれるかを競うゲームなのです。
空目線ゲームには刺激(獲物、成功)はかつてほどいらない、、、空に近づくことだけが刺激
美味しいラーメン屋廻りをするのが自我目線ゲームです。今目の前にあるラーメンをいかに美味しく感じる身体にするかが空目線ゲームです。次から次へと美女を求めるのが自我目線ゲーム、一人の美女でいかに幸せを感じれるかが空目線ゲームです。あるがままでどこまで幸福(空は絶対幸福)になれるかを競うのが空目線ゲームです。登場人物である私(自我)の役割は空目線になればなるほどに少なくなっていきます。これは自我から無我(空)の境地にシフトしていく新鮮なゲームです。算命学鑑定は自我目線ゲームから空目線ゲームに切り替えていく一つのキッカケです。自我に空(ワンネス)がどのような目的(宿命)でこの世に生まれてきたのかを教えるのが算命学です。