生きてるだけで丸儲け
明石屋さんまさんの名言、「生きているだけで丸儲け」ですがこれは大変深い言葉です。お釈迦様は人生を苦と捉え、なぜならば人間は欲を持ちその欲に振り回される、願いが叶わないこの世の仕組みを苦と捉えました。生命現象であるこの宇宙空間でエゴでこの欲を満たそうとしても満たし続けることは出来ない、、コントロールできない状況は確かに苦です。ではさんまさんは何を持って生きているだけで丸儲けという言葉を発信したのでしょうか?お釈迦様の理論と真っ向から反発します。
この世の生命現象が、神の体験場であるということが理解出来ると欲を満たせない状況が苦しくなくなる
本質を全く理解できていない人間にとって、世間から可哀想と哀れに思われる境遇に陥れば本当に人生は苦になってしまいます。世間から哀れな人だと認識されてしまえば哀れなのです。なぜならばその方の価値観が世間からの評価になるからです。ところが本質を知った人間は世間ですら自分が作ったもの、創造したもの、生命現象のアートであることを知っていますから周囲の評価が自分の評価には直結しなくなります。欲を満たすこともこの世のゲームですからいつか満たせるし、今世満たさなくてもいい、満たすことが楽しければ満たし、楽しくなければ来世に持ち越せばそれも良しの心境になっていきます。今世は世間体は捨てるゲームにしてしまえば良いのです。
人生を一回きりのゲームだと思うから慎重になり保守的になり心が押しつぶされる
人生が一回きりのゲームなら私もこん世でなるべく多くのアイテムを平均的に狙うでしょうが実際にはこのゲームは一回ではなく何回もリセットでき自分が納得できるまで続きます。ですから自分が納得いくまで輪廻(リセット)を押し続ければいいのです。1回しかないと思うから失敗を恐れ、保守的になり、やがて心が押しつぶされていくのです。
自分自身を縛り付ける思考回路(世間体、常識、良識)から解放されると生命力が溢れ出してくる
生きているだけで丸儲けとは、考え方ではなく、自分自身を縛り付ける思考回路(OS)を書き換えて世間体、常識、良識ではなく本質を体現する場所、ワンネスが体験する場所、空の遊びの場所と腹の底から理解すれば自分と思っていたこの身体は実はとんでもない偉大な乗り物であることが分かってきます。すると世間体も、親からの評価も、友人の評価すらもどうでもよくなっていきます。自分を縛り付けるエゴから解放されたとき人は生命力を取り戻し、この世が遊び場、ゲーム、遊園地にシフトします。この状態が生きているだけで丸儲けの状態です。