新しく知ることは実は何もない、、ただ思い出しているだけ
本当のところこの世の中に生まれてきて新しく覚えること、学ぶことは何もありません。なぜならば我々魂の実態であるワンネス、空は全てですから全て知っています。全てを知っている空、ワンネスが魂という形でこの人間の身体をコントロールしているだけですから元々全て知っているのです。ですがなぜこの世ではまず学校に通い一からあらゆることを学ぶのでしょうか。本当は知っていることを思い出しているだけです。勉強が得意な生徒は覚えるのが早いのではなく思い出すのが早いのです。
苦労が多いとき、、、、何か大切なことを思い出すことが求められている
そう考えますと今苦労が多い、八方塞の状態、、壁にぶち当たっている状態は何か大切なことを思いだすタイミングだと言えます。新しいことを学ぶのではなく大切なことを思い出すために算命学やあらゆる書籍があります。他人が書いた書籍や文章を通じて大切なことを思い出しているのです。だから本当に重要なことに気付く瞬間は急に来るのです。じっくりと学んでいるようで気付きは突然訪れます。人の名前を思い出した時の感覚に近いものがあります。
覚えるではなく思い出すためにあらゆる苦労や困難はある
あらゆる困難や苦難は何かを学ぶためではなく思い出すためにあります。ですからなかなか思い出せない場合その困難や苦労は長期的に続きます。気付き、思い出しが起こるまで延々と苦難が続きます。知っていることを思い出すというチャレンジが延々と続くのです。人間はこの苦難を思い出す過程が済むまで体験し続けることになるのです。自虐的なことではありますがワンネスは思い出すタイミングが訪れるまで延々と鏡となってこの気付きを待ちます。
学ぶ(思い出す)ことに積極的になると人生は非常に楽になる
そういうわけで人生は我を固めて意固地になるよりも学ぶ(思い出す)ことに積極的な方が楽になるのは事実です。ワンネス、魂は体験を通じた真実の思い出しを求めていますから意固地になって自身の考え方を守っているよりも積極的に知らない(本当は知っている)ことを学ぶ(思い出す)方が気付きも早いのです。子供のように無邪気に飛び回り体験を重ねる大人が魅力的に移るのはその方が気付き(思い出し)が早いことを周囲は知っているからです。算命学は宿命があったこと、魂が何か目的を持って生まれてきたことを思い出すお手伝いとも言えます。