空(ワンネス)が作り出したこの世で、私(ワンネスの一部)が他人(ワンネスの一部)を欲しがる理由
私はワンネスの表現の一つで、他人もワンネスの表現の一つです。物もワンネスの一部、お金もワンネスの一部です。それがこの世です。この世で個人があらゆる者、人を惹きつけたい手に入れたのは、、、元々が全て(ワンネス)であったにも関わらずこの世では一部であると錯覚するように設定されているため不足をどうしても感じてしまうのです。一部であること(孤独感、孤立感)を強く強く感じれば感じるほどにも元々は全てであったことを強烈に意識します。よって多くの人、物を惹きつけたくなる、手に入れたくなるわけです。
ゲームの展開上、、、孤立感、孤独感、不足感を味わっていたほうが、、、気付きが深い、悟りが起き易い
元々全体、大いなる一つだった存在(空、ワンネス)が個別に別れ、分離し、パーツになり(全て錯覚、洗脳)分離ゲームをしているわけですから孤独感、孤立感、不足感はそうとうなものです。全体として存在していた空、ワンネス、神が、、突然、、、この宇宙の小さなパーツに成り下がったわけです。強烈な自己卑下、格下げ、身分落ちです。だからこそこのパーツ、自我、個人は必死になって全てを手に入れようとします。冗談じゃない、、、俺は私はこんなもんじゃない、こんなちっぽけな人間じゃない、パーツじゃないと。これがこの世の醍醐味、ロッキーを凌ぐ壮絶なハングリー映画です。成功しても成功しても、全てを手に入れても満足できない、、満ち足りないのは当然でそれは元々は宇宙全てであったからです。地球を制覇しても満たされないのは当然のことなのです。悟りとは元々宇宙の全てであったことを思い出すことなので、、、孤独感や、孤立感、不足感を味わっていればいるほどその感動は大きくなります。総理大臣になっても大統領になってもまだ満たされないのは私の本質はもっと強烈な大きさだからです。
この世の獲得ゲーム、所有ゲームで限界を感じるのは、、、それほど幸せにならないから
お給料が今よりも2倍3倍になることで幸福度が2倍、3倍になるならば人生は簡単です。ところが元々大いな一つである私の本質が給料が2倍、3倍になったところで満足するわけがないのです。本質は全てでありこの世のお金全てです。覚者がお金の執着から手放されるのはお金の価値基準が下がったのではなく、、、お金の全ては私の物であったことに気付いたからです。この世のゲームの性質上手元には入らないが必要な分は自動的に入ることに気付きます。そこでこの世の醍醐味でもあり、苦しいゲームである獲得ゲーム、所有ゲームに興味が失せていきます。多くを獲得しても所有しても大して満たされないのならば気付きを深め幸福になろうとベクトルを変えます。
算命学で宿命に合致すると環境が味方するという理論があるのは、、
算命学では宿命に合致すると環境が味方し始め生き易くなると説くのは、、、大いなる一つ、ワンネス、空がこの世に遊びにきている姿が<あなた>ですからそのあなたが目的に沿った魂の経験をすれば魂は喜び、ワンネスも喜び、それを味方することで表現するとなります。自分が自分らしくなるとはワンネスがワンネスらしくあること、宇宙が宇宙らしくあることです。自己実現の自己はあなたではなくあなたを含むワンネスです。