我の入る余地がない人生を生きる、神我の人生
自我にコントロールされ自我がはびこり、自我が主役の人生は辛いものです。その反面ワンネス、空、神ベースの生き方には不足感が少ないため渇望が動機になりません。プラスを積み重ねる生き方です。この生き方は根底に不足感がないためとにかく楽なのです。強烈な飢餓意識、餓鬼意識、空腹意識に支配されていないため、、、自由です。行動に制限が加わらないのです。
強烈な自我は飢餓感を常に抱えているため、、常に焦っている
強烈な自我はワンネスと完全に分離していますから常に飢餓感に襲われます。空腹です。お腹が空きます。そのため貪っても貪ってもすぐに焦ります。次の満足を得なければ苦しくて仕方がありませんから感覚は損得思考になりメリットデメリットでしか考えられません。ただあるがままに生きるなどもってのほか。日々目標や課題、問題に追われます。生きているようで全く今を生きていません。問題、課題ストーリー(空想)の中に取り込まれている状態です。
自分が空、神、ワンネスの表現であると理解すれば、、、貪るのは滑稽であることに気付く
自分(この身体)が本当は空、ワンネス、神の表現であり本当の自分は空であることに気付けば貪る意味はなくなります。貪るのは自分自身がちっぽけな存在だからこそであり、自分が全てであると確信したならば貪る必要がなくなります。勿論自分自身が空そのものであるという域には生きながらにして感じることは難しいのですがおぼろげながらにそれを感じる生活にシフトしていくことは可能です。
非行(貪る生き方)に走るのは全体感覚の欠如ゆえ
非行に走る若者の特徴は、頼れるのは自分しかいない、周囲は皆敵であるという強烈な自我意識です。自我意識が成立するには対称が必要ですから社会は本人にとって敵になります。敵に捉えることで自我は自我でいられます。これは無意識に行われます。全員が味方であると考えますと強烈な自我は必要なくなりますから敵でいてくれないとマズいのです。こうして非行に走る若者は貪る生き方をし自我とともに生きて行きます。算命学鑑定では欲を欲として認めます。自我を自我として認めます。その自我、欲求が強烈であればあるほど自我の特徴、欲求の特徴を理解しやすいため陽転もしやすくなります。先ずは自分自身の自我を俯瞰して認めることでそれを見つめる魂、ワンネス、空の存在に気付き主導権を魂、ワンネス、空の次元に戻します。自我の貪るだけの生活、欲求を客観的に見つめ完全燃焼しながらも自我、欲に振り回されない生き方を提案します。