一生懸命悟ろうとすると悟れないのは思考は意識を観察できないから
思考には意識、空、ワンネスは観察できません。思考は意識、空、ワンネスの道具であり思考が意識、空、ワンネスに気付くことはないのです。気付きとは意識、空、ワンネスが起こすことであり、これは「ウロコポーロ」現象、まさに目から鱗が落ちることを意味します。ですから思考が考えて考えて気付きに至るのではなく意識が思考のループに気付いてそのループを手放す他ないのです。思考が考えに考える、フル回転で考えれば考えるほど意識は思考に取り込まれ、思考と同一化し、「思考が自分」であるという錯覚を強める結果になるのです。
一生懸命思考をフル回転させて悟るのではなく徐々に思考の罠を落としていく、思考を道具の地位に戻す
思考が元々は意識、ワンネス、空の道具、この人間ゲームをサバイブするための道具であったにも関わらず、地位が逆転し思考が「私」と錯覚したことからどうも様子がおかしくなります。本来は意識、ワンネス、空が「私」だったのが突然、思考が「私」と言い放った、勘違いした、錯覚したところからこの人間ゲームは苦しくなります。むしろ自我(思考)が急成長し、自我が猛烈に勢いを増し、行動範囲を増すことで完全に意識が本来の存在であることを忘れてしまいました。完全なる忘却、、、この時期が一番人生で辛いのは当然なのです。ですが現代の教育はこの思考、自我の急拡大を強めます。競争に競争を繰り返すことで自我、勘違いの自分を強く強く意識するのです。完全なる忘却を率先して行っているのがこの現代社会です。
「とりあえず悟る」が出来ない理由
「思考」を自分と勘違いしていればその勘違いしている「自分」が悟りを探しますからこれは難しいのです。探せば探すほどに「思考」に頼る、思考を自分と強く意識する結果になります。これを無・意識状態と言います。つまり意識でない状態です。意識の状態とはこの状態とは全く異なり「思考」を手放した状態です。思考がグルグルと回っている状態に意識・空・ワンネスが気付いた状態です。これを「思考」を意識している状態と言います。無意識でない状態です。
算命学では無理やりこの思考のループを止めて、無意識状態からの脱却を図る
私が算命学を重宝するのはこの思考のループに圧倒的な一打を加えることが出来るからです。思考に対し、色々考えてるけども思考よりも上の情報をあること意識に教えます。考えて考えて人生を切り開こうとする思考に思考では到底及ばない分野があることを伝えます。意識は気付きます。もう自分の思考だけに頼るのはやめようと。悟りを開く、覚醒体験に向けてのショック療法になるのです。思考よりも上の情報があることに気付いた、思い出した意識、空、ワンネスはここから急に思考至上主義を辞める事になるのです。