宿命を完全燃焼する、目標に向かって邁進するとき「私」が消える
算命学では宿命を完全燃焼することをよしとしますがなぜ完全燃焼が良いのかといえばそれは私という概念が消滅し私以上の何かに私が拡大するからです。例えばゴールを目標に懸命に走り続ける走者にとって私という感覚は邪魔です、ただ単純にゴールを目指すのみ、そこには私の概念はなくゴールを目指し意識だけがあります。走っているのは「私」ですが懸命に走り走りに集中したときそこには走っているという意識だけが存在し私は消えます。私が消えたとき意識だけが存在するわけですがこの状態は宇宙=意識の状態、つまりワンネスと合一状態といえます。算命学でもこのような人生を目指します。自身の役割を完全燃焼し始めますとそこには対象と意識だけが存在し私が消えるのです。
自転車を気楽にこいでいるとき、「私」がこいでいるという意識はない
自転車を気軽にこいでいる時、私がこいでいるという感覚を持つ人はいないはずです。なぜならば私がこぐという感覚がなくても自転車はスムーズに進むからです。これも人生は同じ、人生を懸命に真正面に生き始めるとき、自分が生きているという感覚はなくなりただ懸命に生きているという感覚だけが残ります。対称にのめり込む時、対象と戸めり込んでいるという感覚だけがあるのです。これが宇宙=感覚であり、宇宙=感覚=ワンネスです。
自分がただの意識であるという感覚が理解できるとパワフルになる
私たちはこの世に生まれてきた時、身体という物体を持ちます。実際には持っているという感覚を持ちます。実際には身体の中に魂があるのではなく身体の中に入ったという感覚を持ちます。この世はゲームですから私たちは登場人物=私という感覚でゲームはスタートするのです。ですが実際には自分=登場人物(身体)ではなく自分=登場人物と思い込む感覚です。そのため人間は何か対称に熱中し我を忘れる時に実は本当の我(ワンネス)に戻っているのです。我を忘れるのではなく登場人物に入っているという感覚を忘れ対称と同一になれるわけです。対象こそ本来の姿だからです。そしてそうなればそうなるほどに自分=身体ではなく自分=宇宙ですからパワフルな感覚を思い出していくのです。