大いなる意識、大いなる一つは常に今ある、、、そこに気付くまで苦悩は続く
大いなる意識、大いなる一つは常に今ここに存在します。思考を止めて静止することで今ここで大いなる意識に気付くことが出来ます。この大いなる一つの存在に気付く以外にこの世で絶対的な幸福に至る方法はありません。なぜかそれはそれが真実だからです。真実とかけ離れた場所に幸福を探しても幸福になれないのは当たり前の話です。自分という思考が作り出す自我ベースで幸福を願っても叶えられないのは、自分という自我自体が嘘、幻想だからです。自我ゲームから卒業して真実に気付く以外にこの世での幸福は来ません。
自我を満たし続けて次々と欲求を昇華する、大いなる一つに気付くことで本当の幸福に近づく
自我を満たし続けることで欲を昇華することは出来ます。欲の種類を昇華します。これは正しい自我の行動です。ですがこの状態は幸福ではありません。不幸を穴埋めしていく状況です。なぜならば欲を消化できていない状態は幸福ではないのではなく、不幸な状態だからです。不幸な状態を続けたくないから欲を消化していきます。消化し続けていけば不幸ではない状態は続きますがこれは幸福ではないのです。幸福とは奪われることのない状態、気付きの状態です。
自我を満たし続けることに飽きたら真我、神我を見つける旅にでる
自我目線ゲームは楽しいのですが疲れます。欲を満たし続けなくては不幸になってしまいますから次から次に目標を達成し、拡大し、発展させるという終わりのないゲームです。ですがそのような生活にいずれ飽きがきます。自我を満たすことのみに専念してもそれはラットゲームのようなもの。走り続けるのみです。自我を満たすことに飽きたら次は大いなる一つを探す旅に出る必要があるのです。
神我はどこにある?神我は今思考を止めるとここに現れる
神我はどこにあるのでしょうか?あの世でしょうか、、答えは違います。今ここにあるのです。思考をとめた時に自分を観察するもう一つの自分に気付くことが出来ます。これが神我です。思考を観察するもう一人の自分に気付きますと急に思考が暴れなくなります。今まで無意識に動き続けてきた思考がゆっくりになるのです。思考ではなく観察者(神我)が再び主人になり思考を観察するようになります。