そもそも動くという体験ができない空は宇宙を創造し動くことを実現した
無である空は動くという体験を積むことは出来ませんでした。そのため空は退屈になりこの宇宙を動く場所として創造しました。宇宙に時間があり(設定上)動くことこが可能になったのはこのためです。無の状態、空の状態では動くという体験はできませんがこの宇宙空間ではそれが可能になるのです。ですから実は魂は動くという動作をするだけで快感を覚えます。これは小さい子供がじっとしていないでただただ動いて喜んでいる姿に他ありません。
ただただ動くだけで快感であった魂がなぜこの世で不幸になるのか
この世をじっくりと堪能するためにはこの世が幻想であることを知らないほうがよい、ということになります。幻想だと分かった状態で動くのは馬鹿馬鹿しいものです。ですからこの世が幻想であることを人間には気付かないでこの世を堪能させます。これによりある意味この世に熱中してゲームを味わい尽くすことができるのです。この世は完璧、完全な緻密なバーチャルですから多くの人間はこのことには先ず気付きません。魂は脳の思考作用、この世がバーチャルであるはずがないという錯覚のお陰で体験を積むことが出来るのです。バーチャルであることを知らない人間は病気になったり倒産したり離婚したりとこの世での辛酸を舐めに舐め不幸も幸福も味わい尽くすことになるのです。
ですがこの世の苦楽を味わいつくした人間(自我)は徐々にこの世の真相に興味が湧いてくる
守護霊の存在、霊視、霊感、輪廻転生と、、、なぜかあの世について興味が出始める時期があります。この世の苦楽を味わいつくした人間は我々のこの人間社会が成り立つ宇宙空間や、死後の世界に興味が湧き始めます。こうしてあの世の真理追究が始まります。算命学もそのきっかけの一つです。本来魂は体験さえ出来れば動ければ楽しいですからこの世がバーチャルだと知った人間は魂主体の生き方に戻りあるがままの生き方に帰っていきます。思考に支配され思考が主役の人生から魂が思考を使う魂が主役の人生に戻ります。