全ては神様のお陰は大嘘
神様を崇め、神様を崇拝し、神様のお陰でこの私が存在できていると思っているとするとそれは全くの間違いです。神様こそこの私「身体」がいるからこの世であらゆる体験を出来ているのです。神様こそこの身体に感謝し、崇拝し、崇め奉らなくてはならないのです。神社に言ったならば神様から感謝の言葉をもらいたいぐらいです。わざわざここまで足を運んで頂き「有難うございます」と。神様を崇め奉るということは何か自分「身体」よりも偉大な別の存在がいるかのような錯覚を感じてしまいこれは分離意識を生み出します。実際は神様がこの身体を借りて、私を借りてあらゆる経験を体験をさせて頂いているわけです。
アナウンサーえみさんの気付き、名言
広島のアナウンサーで覚醒体験をした<えみさん>の気付きは「神によって人間は生かされているのではない、人間によって神は生かされているのだ」「私は生命として生きているのではなく、生命が私を使って生きている」という名言を生み出しました。私はこの言葉を聞いて深い感動を覚えました、そして私の自我が「気付かれた」と叫んだ声が聞こえました。
自我は自我こそ私だとアピールすることでこの身体を守ってくれている
自我があるからこそ自我がこの身体を守ってくれています。自我は自分の身体を守ることを使命にして必死にこの身体を守ってくれています。神様はこの自我にも感謝しなければなりません。自我がこの身体を「私だ」と認識してくれているからこそ身体を世界で一番大切なものだと認識してくれているのです。ただしこの自我の厄介なところは体験以上に身体を守ることを優先してくれるところ、体験よりも身体に価値を置いてしまうことです。