もともと悟っていたから悟ることが出来る?!
ノンデュアリティーナビゲーターであるジュンコ・セレンディーさんが悟りについて大変面白い理論で説明してくれています。原始人が携帯電話を目視確認してもそれが我々が知っている携帯電話であることを理解することは絶対にないと。なぜならば電話の概念も、電波の概念も、連絡を取るという概念も全てないため見てもそれが携帯電話であることに気付くことは絶対にないということです。これは実は悟りも同じで、悟りという概念が無ければ悟りというものが何か理解出来ていなければ悟れる人間はいないと、、、ところが今世界中で悟った人達が多く出ているのは元々人間は悟っているからだというお話です。これは大変興味深い話であるとともに真実です。悟ったワンネスが不完全な身体を利用してこの世を遊んでいるからこそ、ある時、人は悟るわけです。
感性と同じく悟性がある
これもジュンコさんのお話。感性という言葉と同じように悟性ということばがあることはご存知でしょうか?悟性とは悟りに関する感性、悟性が高いとはこの世の真理を俯瞰してみることが出来る感性を持ち合わせていると言えます。悟るとはこの悟性を高めることです。何か努力して努力して頑張って手に入れるものではなく、悟性を磨いた先に悟りがあることを上手く表現しています。
悟性を磨くために様々なマスターがいる、相性が合うマスターでいい
この世にはファッションデザイナーが沢山いてそれぞれの感性にあったデザイナーの服を楽しみます。これと同じでマスター、覚者も様々な人達がいます。合わないマスター覚者の理論を必死に聞いても読んでも一切心が揺さぶられないのはそこにも相性があるということです。宇宙は悟る、気付く、目覚めるためにも様々な方法を選択肢としてプレゼント(現在)してくれているわけです。