寿命は自分で決めている
人には魂が宿っておりこの魂が身体を離れると人は死ぬわけですが算命学、スピリチュアルの分野では人の寿命は魂が決めていると考えます。例えば癌はいまでも治らない病気の一つですがこれも私から言わせれば魂が人体を離れるためにあえて癌になる選択をしているといえます。要は治ってしまう病気ではまずいわけです、これから身体を離れようとする魂にとって治る病気では目的を達成できない、死ぬための病気として癌があると考えます。誤解を恐れずに説明すれば癌は死に行く魂にとって都合の良い病気なのです。ですから我々は病気を恐れる必要はありません、もちろんだかと言って身体を蔑ろにしても良いというわけではありません。身体は大切にしなくてはなりませんがそれでも治せない病気になったならばこれは自分の魂があの世に帰ろうとしていると割り切る他ないのです。
動物は繁殖期を終えたら死ぬ
野性動物の多くは繁殖能力が終わったら死にます。繁殖できない身体になった途端に寿命が来るのです。人間は繁殖が出来ない、子供を産めなくなっても長生きできます。人間は子育て以外にも目標を持てる唯一の動物なのです。自分で目標を設定し自分で実行に移せる唯一の動物なのです。算命学ではその方の寿命を読むことはある程度できます。年運、大運を読んで身体にとって厳しい時期を読み取るのです。ですが間違えてはいけないのはあくまでそれは身体にとって厳しい時期であり全員がそこで亡くなるわけでは勿論ないのです。
魂がこの世を去ろうとする原因は学ぶことをしなくなった時
魂にとってこの身体を長持ちさせることは生まれて来た意味から反します。魂にとってこの人体は価値があるのではなくこの人体を使って何を体験するかが重要なのです。魂にとっては体験を通じた気付きこそが重要であって長生きを体験することは重要ではないのです。いかにこの身体を使って多くの気付きを得るかが重要であってただ長く生きることには何の意味もないのです。逆に言えば日々を充実させようとすればするほどに長生きできるとも言えるのです。長生きは結果であって長生きを目的にしても長生きできません。老後の心配ばかりして消極的になれば何の学びもなくなり逆に魂はすぐにこの世を去ろうとするかもしれません。
まとめ
私の父は4年前に他界しました。亡くなる8年ぐらい前に長年勤めていた会社を早期退職したのですがそれからというもの会う度に元気を無くしていきました。何かこの世に生まれて来た目的を達成してしまったようなやり尽くした表情をいつもしていました。私の父は自身の父親を12歳のときに亡くしそのため小学校6年生の時期から新聞配達の仕事をしながら学校に通っていました。12歳から仕事をスタートしたわけですから会社を早期退職した時点で40年以上働いていたことになります。私の父は小6から仕事をスタートしもしかしたら働くという意味ではやり尽くしたのかもしれません。それから8年後に癌が発覚した際は早過ぎるという気持ちと、なんとなくやっぱりという二つの気持ちが私の中に芽生えました。発見した際には末期がんであることが分かりその半年後にはこの世を去ったわけですがほとんど病気で苦しんだ時期はなく父の魂は病気という状態の経験は選ばずあっさりこの世を去ったと感じました。そして二年後、妹に子供が出来るのですがその出産予定日は父の誕生日でした、実際に生まれた日は予定日からずれたのですがもしかしたら父は次の人生を妹の子供として選んできたのかもしれません。