苦しむ必要はないがこの世に極楽はない
完璧であることの素晴らしさを実感するためにあえて不完全な形(肉体を纏った魂)となって地球に降り立ったことからも分かるようにこの世にはそもそも完璧な環境(あの世)はありません。何かを形にするには時間という制約を受けます。(十二支という時間のエネルギーがこの世に存在する)考えたこと(想年)は時間を経る(プロセスをとる)ことにより始めて結果になります。時間という制限のゲームがあるので種を植えても実になるまで待つという忍耐を必要とします。
また、どこかに行きたいと思えば、距離(空間を十干で表す)というエネルギーを相手にしなくてはなりません。空間(距離)というエネルギーの制約を受けるのです。やはりここでも辿り着くまで忍耐を要します。
ニューヨークに旅行に行きたいと考えれば、時間(十二支)と距離(空間)の制約を受けることになるのです。
スピリチュアルや占いに依存する方の危険な思考回路として努力や苦労することなしに何か簡単に幸せになれてしまうのではないかという安直な考えがあります。ですがそれだけは絶対にありません。想念が形になるまで時間と距離の制約を受けるため必ず待つという苦悩が伴います。野菜を育てるには定期的な水やりとその場所に通うことが必要なようにこの世で何か結果を出そうとすれば必ず忍耐という試練を乗り越えなくてはならないのです。
スピリチュアル依存者、占い依存者の危険な考え方
ある考え方をすればすぐに楽に生きれるようになるのでは、言霊さえ毎日叫んでいれば勝手に状況は好転するのではないか、風水に従っていれば自然と運気が上がり物事がスムーズに進むのではないか、、など何かこの世で楽に生きるための裏ワザがあるのではないかと躍起になって奔走する人がたまにいます。スピリチュアル依存、占い依存の方です。ですがこの世はワンネス、完全体があえて分離の世界を創造し(ビッグバン)その分離の世界の中で一旦不自由を味わうためのゲームの場所です。その絶対的なルールは変えることができないのです。そのような裏技があるのならば最初からこのゲームは作られていません。ですからスピリチュアル依存者の方も、占い依存者の方もこの世では裏技を見つけ出すという結果を出すために忍耐するという修行を皮肉にも積まなくてはならないのです。そしてそのような裏技は最終的に見つかりません。
ではなぜ楽に生きれている人がこの世には存在するのか?
ですが実際には周囲を見渡してみるとお気楽に生きているように見える人は存在します。そしてそう見えるだけではなく実際に楽々で生きている人が存在するのです。生まれも育ちも大金持ちの家で過ごし、両親も人格者で苦労することなく生きてこれている人が中にはいます。ですがこれもその方の魂がそのような人生を歩むことを決めて生まれてきています。今回は負荷が比較的少ない人生を歩もうとそのような環境を選んで生まれてきているのです。たまたま楽な人生を過ごしているのではなく楽な人生になることを分かった上でそのような環境を魂が選んでいるのです。ですから不公平ということはないのです。生まれてすぐに両親が亡くなってしまう方も、何不自由なく生きていける環境に生まれた方も、魂の完璧な決断でこの世に生まれてきます。
算命学鑑定で分かること
私は算命学鑑定を通じてあらゆる方の悩みや相談を受けてきましたが、今までで一人たりとも全力で生きていない方はいませんでした。どんなに楽勝そうに生きている方も、苦しそうに生きている方も共通点は全力であるということです。その方にとっては全てが全力なのです。なかなかやる気が出ないという方もやる気がでないということに全力で悩んでいるのです。完全体であるワンネスがこの世に不完全な形で降り立った以上、不自由であることは疑いようもない事実であり、みなこの不自由さと全力で戦っています。この不自由さをまるごと受け入れれる方はいません。この不自由さはワンネスであった我々にとって当然不自然な状態なのでそこを苦しんでいない方は皆無なのです。全員がこの不自然な状態の中でなにかしらの形で全力で戦っています。
まとめ
スピリチュアル依存、占い依存を否定するようなことを今回書きましたが本心は全く違います。スピリチュアルや占いは精神世界に属します。この現実、特に日本社会では精神世界や霊的世界よりも現実、物質に対する依存度がかなり高くバランスを失っています。現実や、物質を重視することも勿論重要なことですがそれは精神世界や霊的世界を軽んじることとは違います。霊的世界や精神世界の価値を理解することはとても大切なことでもありその初期段階としてスピリチュアル依存や占い依存は当然起こるのです。ある程度どっぷり浸かる(依存する)後にバランスの良い付き合いができるようになります。