生まれた当初、この世は疲れて当然、疲れるためにこの世はある
生まれた時はこの世、現実に対し分別がないため自分にとって有益な物もなければ無益なものもない、全てが生命体ですから楽しくて仕方がありません。子供がおもちゃで夢中になれるのはおもちゃも生命体ですから子供にとっては生きているのです。ところが大人が分別を教え、良い悪いを教え、正しい悪いを教え、有益無益を教えることで世の中の半分はネガティブな存在、物、人になってしまいます。ここからが苦しいゲームの始まりです。自分、個人を守り親のこれぞ正しいという生き方を全うしようとしますと避けるべき友人、避けるべき趣味、避けるべき遊び、避けるべき学校、避けるべき生き方が始まります。そして避ければ避けるほどに無理がたたり最終的に疲れ果てる時が来るのです。これが当初の世の中の在り方です。分別の世界に生きますとやがて疲れ果てるのです。
疲れ果てた人間から算命学を始めとする精神世界を学びはじめる
この世に生まれ親や社会、学校からこそ正しいという生き方を学んだ、もしくは洗脳された子供は素直であればあるほど、真面目であればあるほど、優秀であればあるほど分別を叩き込まれます。そして悪いという生き方を徹底的避けるがために無理がたたり途中で疲れはてるわけです。うつ状態になります。頑張れば頑張るほど、悪い生き方を避ければ避けるほど無理が生じるからです。そして苦しい人ほど算命学を始めとする精神世界に興味を持つようになります。なぜなら精神世界はこの世とは反対の世界、この世のルールを反対側から教えてくれる教材だからです。非難する場所としては最高に気持ちの良い場所、楽な場所なのです。誰にも邪魔されず精神世界を探求できます。物を集めることではなく認識を変える作業ですからマイペースに自分のペースで入り込めるところが算命学、精神世界、スピリチュアル学の面白いところです。私は25歳ぐらいから途方にくれて学び始め35歳ぐらいまで精神世界を探求しました。
精神世界に飽き始めるとやがて現実世界、この世がエキサイティングなゲームであることに気付く
精神世界は今までの概念を全てぶち壊してくれる、親の考え方も、学校の考え方も、社会や常識の考え方さえも全てぶち壊してくれます。それゆえ本当に心地がよく人によってはどっぷりはまります。新興宗教がこれほど勢いがあるのもそれは全てこの世に疲れ果てた人がいかに多いかということです。悪い組織にはまると全財産を失います。占いやスピリチュアル、宗教がこれほどまでに多いのは多くの方ははしご酒のようにあらゆる精神世界のカルチャーに興味を持つからです。美味しいお酒もあれば不味いお酒もあります。どちらにしても色々な分野の精神世界に触れることで人は癒されていきます。そして温泉廻りのように十分その癒しを受けますとやがて人は温泉に飽きます。改めてどっぷり現実世界にチャレンジできるようになるのです。そしてその時はこの世は実はゲームであることを悟っています。
この世がゲームであると悟った人間はいちいち落ち込まなくなる
精神世界を胆嚢すると精神世界こそが素晴らしい、パラダイスだと勘違いをします。それゆえ多くの方は温泉である精神世界に長く浸ります。ひたすら気持ちがいいからです。ですが温泉も何度も行けば飽きるように精神世界もやはり飽きるのです。何か物足りない、、パンチが効いていないからです。そこで人はまたどっぷりと現実世界、娑婆に戻っていきます。温泉、あの世、パラダイスがあることを知った上でもう一度この世のゲームに参加します。ゲームを楽しむわけですからゲームであることを忘れるぐらいはまらなくてはいけません。そしてゲームであるわけですから疲れたらすぐにまた休めば良いのです。ゲームですから途中で死んでも実はどうでもいい、ただ楽しむためには死なないように真剣に取り組まなくてはならないことも分かってきます。これが現実世界、顕現世界をゲームと理解した人、悟った人の行動パターンです。