「渡る世間は鬼ばかり」を観て楽しむ根拠
「渡る世間は鬼ばかり」は大ヒット連続ドラマです。トラブルが延々と続くこのドラマを観る心境は一体何なんでしょうか?!家族間のトラブル、周囲との人間関係トラブル、子供の学校での問題、嫁姑問題の数々、、、とにかく問題が次から次へと続くこのドラマを観る人間の深層心理に迫りたいと思います。本当に自分自身が嫁姑問題で苦しんでいたら恐らくこのドラマは観れないはずです。ですからこれは自分があたかもドラマの登場人物になって嫁姑問題を疑似体験しているとも言えるのです。どういうことか?人間がこの世に生まれた一つの真実がここで解明されます。人間とは完全体であるワンネスが不完全な身体を通じて不完全ゆえに引き起こされる悲劇を体験しに来ている場所なのです。だからこそあえてドラマを観てまで悲劇を擬似体験したいのです。何度もお伝えしますが、、本当に嫁姑問題で苦しんでいる人はドラマを観れないはずです。なぜならば思い出すだけで辛いからです。このドラマが観れる人は悲劇を疑似体験したいのです。これはワンネスが擬似体験しているこの人間社会と全く同じ現象です。
アクション映画でズタズタに敵にやられるシーンを観れるのも同じ
本当に戦争の現場に行ったことがある人間であれば戦争映画をプライベートで観ることはないでしょう。戦争の辛さを思い出してしまうからです。ところが戦争に行ったことのない人間は楽しんでこの戦争映画を観て悲惨な現状を擬似体験して喜びます。お金を払ってでも悲惨な状況を擬似体験するわけです。ワンネスも同じです。わざわざ人間として悲惨な現状を儀ワンネス体験しに来るのです。ワンネスは実はこの悲惨な現状を擬似体験しながらワクワクドキドキ、楽しんでいるわけです。
最初から最後までハッピーな映画を人は楽しいと思わない理由
悲劇があるから平安があり、空腹があるから満腹がある、寒いがあるから温かいがあり、貧乏があるから豊かがあります。人間が住むこの世は二極の世界、陰陽の世界、プラスマイナスの世界です。この世は対極を通じてワンネスが悲劇も幸福も、貧乏も豊かさも全てを儀ワンネス体験するための場所なのです。ですからチャレンジのない人生をワンネスは退屈と感じます。退屈な人生ならば金を払ってでも退場したいのです。つまり退屈ならばこの世を去りたくなるわけです。
ワンネスがわざわざこの世を誕生させたのは二元、陰陽を味わいつくためである
このブログでも何度も説明することですが宿命を知ったからといって不幸や現実の厳しさ、暑さ、寒さが無くなるわけではありません。それはワンネスがこの世を創造した目的があらゆる要素の体験にあるからです。ただしこの体験を辛い、苦しい、しんどい体験として味わうか、面白い、楽しい、エキサイティングな体験として味わうかは自由です。現に「渡る世間は鬼ばかり」が高視聴率を取り続けたのはそれを楽しいと感じる人がいたからです。所詮ドラマだから楽しいともしも思ったとしたらそれは違います。この世はそもそもワンネスが創ったドラマ(幻想、イリュージョン)です。そうなりますともうこのドラマで起こる事件にいちいち悩む必要は無くなっていきます。