この世でのレベル上げは「思い出す」こと
TVゲーム「ドラゴンクエスト」では勇者は戦闘力を高めることでレベルアップしていきます。ゲームの中では強いことがレベルが上がることを意味します。ですがこの地球ゲーム、この世ゲームでは戦闘力をあげる、筋力をつけることがレベルアップではありません。この世ゲームでは「あなた」が「あなた」をより思い出すこと、より本心、本音の世界に入ること、宿命を思い出すことにあります。思い出せば思い出すほどにレベルは上がります。思い出せば思い出すほどに生きるのは楽しく、気軽に、かつダイナミックになっていきます。
「思い出す」「目から鱗が落ちる」「目が覚める」「宿命に生きる」
様々な賢者がこの世ゲームでのレベル上げについて語っていますが私がしっくりくる表現は「思い出す」です。この世に生まれた時に子供は両親に嫌われてしまったら死んでしまうため全身全霊で好かれるための努力をします。勤勉な親の元では勤勉に、大人しい親の元では慎ましく、信心深い親の元では信心深く、、と好かれるための最大の努力を無意識に行います。要は好かれるための役になりきっていくわけです、これは当然本当の性格、キャラではありません。ですがそうしなくては生きていけない、これが人間を含め動物の定めです。親元を離れようやくこの役、演技から解放されるわけですが即日にキャラ変更できるわけはなく徐々に徐々に自身のキャラ、性格を思い出していくわけです。
本来のキャラ、生き方、宿命を思い出せば出すほどに人生は楽になっていく
元々が演技をして生きてきたわけですから無理やりキャラを作る必要はなくただただ自分自身を思い出すことがこの世ゲームの上達になっていきます。書籍を読んだり、映画を観たり、旅行をしたりしたくなる理由は知識をつけることではなく体験を通じて本当の自分自身を思い出すためです、これが本能です。世界一周をして様々な価値観、人々に触れることでそこに本当の自分自身の投影を観ます。これが多くの刺激を求める理由です。
本当の自分自身を思い出すことでこの世ゲームの本質に気づく
ドラゴンクエストではスライムなどの敵が現れることで戦闘力を高めていきますが、この世ゲームでは困難、ストレス、苦労、裏切りが敵にあたります。この敵と戦う理由は一つだけ、本当の自分自身を思い出すことにあります。あらゆる角度から様々な試練が押し寄せることで人は無理な生き方、無理なキャラ設定を手放し自身に戻っていくのです、算命学などはその一つのサポートになります。算命学では宿命に合致しない生き方は環境に淘汰されると考えますが、これがその試練になります。なぜこの世ゲームではこのような面倒なプロセスを踏むのか、なぜこんなゲームがそもそもあるのか、このゲームの創造者は何を目的にこのようなゲームを作ったのか、、、思い出していく果てに一体何が待っているのか、、このゲームの思い出しチャレンジは最終的に神、真我、ブラフマン、ワンネス、創造主、気付きの存在と行き着いていきます。